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幽霊の薄闇 August 24, 2010

Posted by snbnsx in 及川廣信.
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明日8月25日(水)と翌26日(木)の夜、及川廣信がダンス出演するイベント(インスタレーション&ダンスパフォーマンス)が東京で催される。

幽霊の抛物線

幽霊の抛物線
ー内宇宙へ向かうプレパレーションー

空間演出・美術 大串孝二
写真・映像 加藤英弘
光設計 坂本明浩
ダンス 及川廣信・神蔵香芳

開場 19時
開演 19時30分
会場 キッド・アイラック・アートホール(京王線「明大前」下車)

このイベント自体の発案者は(連続して開催していることもあり)大串だと思われるが、副題の「内宇宙」という辺りには、及川の現在の関心との接点も見受けられる。タイトルにある「幽霊」という言葉からも、何やらデリダを想起させられるではないか。

アントナン・アルトーは勿論、イーシュヴァラクリシュナやバタンジャリといったサーンキヤ(インド)哲学、ラカン、そして空海などの研究とそれに基づく永年の実践を介し、独自の身体技法と舞踊哲学を構築した及川にとって、「内」という問題は極めて重要なものと思われる。

先にモレマニで触れた豊島和子に対しても、たとえば「「内的」なダンス=「皮膚の境界線上」のアリア」と題された(モレキュラーシアターに関する)テクストの中で、

彼女(豊島和子)の「内的」な踊りが源流であった。
それは、内的と言ってもモダンダンスの心理的情緒でも、舞踏の内臓的なものでもなく、メソッドとしてのものでもなく、それこそ精神分析のキーワード「対象a」につながる、彼女自身が持つ、皮膚の境界線上にある「内面の写し絵的」踊りの手法であった。

と書き、近く某誌に掲載予定の大野一雄追悼文の中で、

大野さんは、結局、からだの中心の“管”と、内と外の境界線の“皮膚”のうえで、原初の虚空(こくう)に戻ろうと自分の思いのタケを花火のように打ち上げて、土を踏んで舞っていたのではないでしょうか。(妄想子略)

大野さんの踊りは、体内の仙骨と掌と指をよく使っていました。即興的な踊りが基本で、じぶんの今の瞬間がどのように周囲と他物とに関わりを持ってすすむかを、脳中の意識からでなく、不随意筋の下に埋もれている知覚の動きから決めていたようです。

と書いた及川は、今回の「幽霊の抛物線」そして来月のICANOF「KwiGua展」での「村への遊撃」に於いて、如何なる「戦意」を垣間見せてくれるのか、期待が高まる。

及川廣信

八戸での「村への遊撃」公演に対して、及川は月村敏行「沈黙のナショナルーー黒田喜夫補論」を題材に以下のような指摘をしている。所収はすべて妄想子宛私信である。

八戸は今でも天保時代の飢えの時代の恐怖がいまだに染み込んで、それが市民に自由に羽ばたくことを阻止している気風があります。

黒田氏の特質は、月村(敏行)氏が言うように想像意識と生活現実の背反対立なので、それが私が今度「村への遊撃」として取り上げた原因なのですが、その月岡氏の想像意識と飢餓との関わりの分析が私とはちょっと違うようです。
ただし、風土的な飢餓が、一方で飢餓意識を育てることも確かです。
そして、それとの関わりで月村氏が「ーーーーーーいわば飢餓に迫られた自然状態としての抜きがたさにおいて表現せざるをえないのだ。それはすべてを生物の次元に還元しうることと同じである」と言っていますが、これは今度の作品で私が取ろうとしている身体表現と同一です。

私の今度の作品は身体でそれらのすべてを表現出来るかいうことで、林の中とか原っぱ、川の流れ、又の風土的な実感と、また前述する愛着と攻撃の対立する心理が描けるか、という問題です。ここでいう「表現」は、もちろん「認知表象」を含んだ意味ですが。

厳しい闘いの薄闇が仄かに見えてくるようではないか。
幽霊も薄闇=逢魔時に徘徊するのである。

及川廣信「アートは症状である ダンスの場合」(2004)葉書より

黒田喜夫の「精神的な飢餓、あるいは飢餓の精神的側面を重視し、その構造を分析し、そこから独自のスターリン主義批判の論理を錬成していった(鵜飼哲)」といった思想の流れを、今日、身体(性)にアクチュアルに切り結ぶことを試みる動きがあるのかどうか寡聞にして妄想子は知らないが、今回の及川の「非在を未生に変える闘い(豊島重之)」には、その一端が閃かされるに相違ない。

及川の「村への遊撃」は五場で構成されるという。この五は五行=木火土金水への写像らしい。八戸で五行と言えば、想起されるのは安藤昌益である。

然し乍ら、安藤昌益を妄想ブログ記事で取り上げるのは余りにも峻しいことなので、素材をひとつ提示するに留めたい。

八戸地域史 第四十六号

最近入手した小冊子「八戸地域史」(八戸歴史研究会)の中に、近藤悦夫による「安藤昌益の思想形成過程における新知見」というテクストが含まれている。昌益思想が如何にして直耕思想(「自然真営道」)に辿り着いたかに関わる研究の一環として、安藤昌益と目される「安氏正信」という人物の手による「暦ノ大意」と「自然真営道」の中間に位置すると想定される文献を取り上げたものだ。このテクストによると、夢遊上人が守西上人に宛てた「北海山主見恵書」という書簡の直後に掲げられている筆録(延享二年)に、

五運 天一水地二火天三木地四金天五土ニ二気アリ十干ト成ル

とあり、近藤は、

「暦ノ大意」では〈自然の一真気から生まれた天の五気が地上に降りて、木・火・土・金・水の陰陽・五行の形となり、五運としてめぐる〉。それを十干に配当すると、〈「甲・乙」は「木気」、「丙・丁」は「火気」、「戊・己」は「土気」、「庚辛」は「金気」、「壬・癸」は「水気」〉で、〈「甲・丙・戊・庚・壬」は「陽」、「乙・丁・己・辛・癸」は「陰」〉であるとしている。

のに対して、上記「北海山主見恵書」からの引用では、

「五運は、天の水、地の火、天の木、地の金、天の土の五つで、それぞれにニ気があるので十干となる」と、五行を「天・地」に分類・配当しており、思想の後退とも思える混乱がある。
と指摘している。

これらは妄想子如きの分析を固く阻むものだが、ここにも「隙間の薄闇」のようなものが拡がっているような心持ちを覚える。いまは、非在と未生の隙間にも漂っているであろう薄闇に向かって、躓きながら歩みを進めることしかできない。

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