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及川廣信氏の1967年 July 3, 2009

Posted by snbnsx in スコピオ・プロジェクト.
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及川廣信が、日本にドゥクルーのマイムを「輸入」したことを知る者、および、いわゆる暗黒舞踏の成立過程において「ある役割」を果たしたことを知る者は少ない(たとえば土方巽の「ムッシュ・オイカワと私」などを参照されたい)。先に医学を志し、マイムはもちろんバレエや演劇に関わったことを知る者も同様だろう。
だが、及川が、昭和60年代、商業ベースにおいても活動していたことを知る者は、氏が語っていないこともあり、ほとんどいないのではないか。

及川は1955年に仏留学から帰国する。帰国前後のことは及川の「60年代前後を振り返る その肉体性の奪還」に詳しい。帰国後の約10年間で、バレエ東京、トーキョー・コメディ、グループVAV、アルトー館、ミモ・サピエンス、日本マイム研究所などの結成あるいは活動に関わることになる。

及川がアルトー館第2回公演「ゲスラー・テル群論」を行った1967年の秋、ひとつのテレビドラマの放映が開始された。「日本特撮」社(放映前に解散)制作の特撮テレビ番組「怪獣王子」(放映:フジテレビ系。提供:ロッテ)である。私だけかも知れないが、天地総子が歌うテーマソングやいくつかのシーンなどは、いまも鮮明に記憶に残っている。また「ロス湖の怪物=ネッシー」が世界的にブームになったことと呼応してか、遊星鳥人/昆虫人間と戦う怪獣王子タケルがまたがるのは、友達のプロントサウルス(番組中ではプロントザウルス。現在ではアパトサウルス=〝欺く蜥蜴〟)の「ネッシー」である。

山川惣治原作の冒険小説「少年ケニヤ」(主人公:ワタル)との類似性も見られるこの「怪獣王子」(主人公:伊吹タケル)の父親=「伊吹精一博士」(理学あるいは地球物理学)を初期に演じたのが、及川氏そのひとである。(中盤から仙波和之氏にスイッチした/あるいはアフレコしたらしいが、全編を通じての確認はまだできていない)

第一話「恐怖の火山島」より、中央:伊吹博士=及川廣信

第一話「恐怖の火山島」より、中央:伊吹博士=及川廣信

(同上。左=伊吹博士)

(同上。左=伊吹博士)

(同上)

(同上)

いくつかの資料を見ると、輸出を考慮して第6話までは35mmフィルムで制作され、ウルトラマンやマグマ大使が一本約500万円の制作費で制作されていた時代に、第一話だけで1600万もの制作費をかけた、という破格の作品だったようだ。
2002年に完全予約版としてDVD-BOXが販売された。現在でも中古市場で入手可能だ。

怪獣王子DVD-BOX

下記で、貴重な「怪獣王子」「第一話:恐怖の火山島」の(本編)動画と、そこに登場する1967年当時の及川氏を見ることができる。



このテレビ番組「怪獣王子」の放映が終了した翌1968年前後、ひとつのコマーシャルが一世を風靡し、そのコピーが流行語となる。1963年から放映されていた日本初の「5秒間コマーシャル」である「アイデアル洋傘」のCMだ。人口に膾炙したバージョンは、ご存知の通り、植木等によるものだが、及川から聞いたところによると、このCMの前(?)バージョン(プロトタイプ?)には及川が出演していたらしい。しかも、マイム調の動作も行っていたはず、とのことだ。 残念ながらまだその証跡を見つけられないでいるが、参考情報として書いておく。

アイデアル洋傘CM

ちなみに、株式会社丸定商店(後にアイデアルと改称し、2006年自己破産)による「アイデアル洋傘」のCMのコピーは「なんである、アイデアル」だった。資料によると、社団法人・日本放送作家協会からCM作品賞金賞が授与されているようだ。

「なんである、アイデアル」は、当初「傘です。アイデアル」というコピーだったようだが、撮影当日になって「何である、アイデアル」になったという。さらに後半では植木等のアドリブ(?)によって、「何である、アイデアル、言うことなし」「何である、アイデアル、トホホ」「何である、アイデアル、また言っ ちゃった」「何である、アイデアル、ま、相談してください」といった派生コピーもあったようだ。また「なんである、愛である」の意味だったという話もある らしい。

ア イデアル社が自己破産した2006年、東京都港区のCM制作会社「TCJ」の倉庫で、1950~1960年代のCMフィルムが大量に「発掘」された。その後、京都精華大学マンガ文化研究所などでデジタルアーカイブ化が進められているという。まだオンライン公開はなされていないようだが、アーカイブ化にも関与している(していた?)文化資源学の高野光平氏のブログあたりで、そのうち情報提供があるかもしれない。もし、及川氏の記憶が正しく、かつ動画が残されているのであれば、視たいものだ。

しかし、昨日モレマニで書いたネタも1967年のことだったが、本稿もそうだ。もちろんこの程度のことで関連性などを指摘するわけではないが、1960年代後半に当時の社会状況下で「ある種の経験」をした人たちの一部が、1980年代になって新しい活動を始めたのかも知れない、と妄想すること自体は面白い。

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